プロフィール

神山 侑子

Author:神山 侑子
★★★★★★★★★★★★★

隅田川に架かる橋のたもとで
生まれ、湾岸で育つ。
現在は大根を栽培する地域に
暮らす37才。
職業はエンタメ系職人。

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Dove siamo? <ドーヴェ・スィアーモ?>
趣味的な映画や本の感想を綴るブログ。 現在は西洋のお坊さんに注目中。 もう自分がどこにいるのか分かりません。 ここはどこですか… Dove siamo?
チェーザレ 惣領冬実/講談社
今、週間モーニングで『チェーザレ』が連載中です。
言わずと知れた冷酷との呼び名も高い貴公子、チェーザレ・ボルジアの物語。
現在、単行本が3巻まで出ています。
まあ〜なんと絵の美しいこと! 人物の描き分け、衣装、精緻な背景。
まさに絵に描いたようなルネサンス中のイタリア。
エザーッット!(正解〜!) ジュスト!(それだ!)って感じです。

イタリアで最も評価の高い伝記、サチェルドーテ版のチェーザレ・ボルジア伝を
参考に、今までの「優秀ながら冷酷非情、放蕩、残虐」というだけではない
チェーザレ像を描いています。

個人的に、あまり興味の持てない人物だったのですが…この漫画を読んだら
すっかり気が変わりました。

続きをまた後で書きます〜。眠すぎてフラフラです(^^;;

テーマ:歴史上の人物 - ジャンル:学問・文化・芸術

薔薇の名前
またしてもちょっと古めの映画をご紹介します。それは

「薔薇の名前」

ウンベルト・エーコ原作、ジャン・ジャック・アノー監督、
ショーン・コネリー主演の中世修道院サスペンスです。
原作は相当の知識がないと十分に楽しめないくらいに難しいのですが
(それでも、書いてある内容はとっっっても興味深いです)
映画では、起こっている事件そのものを追う形で非常に分かりやすく
当時の知識層が物事をどう考えていたのかを浮き彫りにしています。
_________________________________________
ストーリー

北イタリアのベネディクト派修道院に、異端審問に関する会議の準備のため
イギリス人の修道士バスカヴィルのウィリアムと見習い修道士アドソがやって来ます。
ところが、修道院に着いたとたんに相談事をもちかけられます。
写本の挿絵を描いていた若い修道士とギリシャ語の翻訳をしていた修道士が
立て続けに殺されたというのです。
事件の解明に乗出したウィリアムは、この修道院の真の秘密に肉迫してゆきます。
____________________________________________

ところで、出演している俳優陣はハリウッドなどではあまり名前を
知られていない人ばかりなんですが、みなさんいい味出してます。
異端から回心したはずの修道士サルヴァトーレを演じた人などは
怪優と言えるくらいに怪しさ凶暴さ全開でした。
スキンヘッドの薬草担当の修道士はかなり不気味でしたね(^^;;
それにも増して素晴らしいのは盲目の長老ホルヘ役の方です。
だいぶお年になってから俳優業に転向されたそうですが、
知を愛するあまりの妄執、老人の頑迷さを容赦なく演じていたと思います。
ちなみに、聖堂内で歌われるグレゴリオ聖歌は俳優陣のア・カペラ。
他にも写本を撮影用に実際に造ったりと中世の修道院のリアリティにこだわって
つくられている映画です。本当のプロが手作りした凄い技が堪能できます。

20年前、映画館で見た自分を褒めてやりたい(笑)
今なら原作をきちんと読めるだろうか…

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

司祭 PRIST



随分、前に見た映画ですが、このブログに書かないで
どこに感想を書くのかという映画です。(なんのこっちゃ)
神様、「司祭の悩む姿がたまらない」などと思う不届き者をお許し下さい。
と、大っぴらに告解しておきます。

さて、リヴァプールの貧乏な教区に若いイケメン司祭が赴任してきました。
信徒の婦人会のみなさんにも受けがよい新任司祭は、主任司祭が内縁の妻を
司祭館に住まわせていることに反発したり、率先して教区の家庭訪問を
してみたりとやる気十分。ですが、カトリック地域の貧困とやる気のなさ
自分の情熱が空回りしていることに悩みます。
疲れがたまってきたある夜、グレッグはキャソックから革ジャンに着替えて
とあるバーヘ出かけました。そこは、いわゆる男が男を物色しに来るハッテン場…。 
新任司祭グレッグは実はゲイだったのです。

ある日、家庭内レイプされている少女の告解を聞いて、何とかしてやりたいと思うものの
守秘義務のために効果のある手を打つことができません。そうこうしているうちに
自分がゲイだということが地元で噂になって僻地に飛ばされてしまいます。
しかも、責任者の司教は豪華な内装の部屋で贅沢に暮らしている。
リヴァプールの教区民が貧しい生活の中で献金しているというのに(泣)
電話1本で老司祭を退職に追い込み、また若い司祭を簡単に左遷するのです。

グレッグは司祭だと云っても何もできない、しかし神から召されているという自覚だけはある。
神はいると確信していて、司祭をやるようにと言っているのは神だと”知っている”。
だから司祭をやめることはできない。
女の子を1人助けてやることもできず、キリストの磔刑像に妙な気になるゲイ、
なのに司祭をやれと神は云う。どうしろっていうんだ!! 

と十字架像に向かって祈りながら悪態をつくシーンがあります。
これは胸に迫りました。
何かを疑いなく信じている人よりも信じられない人の方が
より感情を揺さぶられるでしょうね。

とはいえ、冒頭の十字架で窓を破る老司祭や、貧しさを皮肉で笑い飛ばす
人々とその生活等、ところどころにイギリスらしいユーモアもあって
地味で真面目なだけじゃないんですよ。

好みは別れるでしょうけれども、オススメです。


欲望と抑制のあいだで―背徳の修道者たちの記録
2002
原書房
ゴードン トーマス, Gordon Thomas, 那波 かおり

実際の司祭、修道女に取材した
キリスト教修道者のリアル恋愛事情についての本です。
修道女の話は比較的、本や映画などがありますが
修道士、司祭の聖職者生活(?)のこういう部分については
あまり言及されませんので大変参考になります。

独身制が修道者本人にとってどういうものか、
どういった状態にあるのかを知りたい方にはお勧め。

これを読んで、逆に独身制にはやはり
意味があるような気がしてきました。
万人にとって正しい扱いだとは云えませんが
意図するところはある、と思えてきました。

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

グッバイ・レーニン!



観よう観ようと思っていた映画。
面白かったがチと長い。
お母さんが社会主義教育に傾倒しつつも恐れていたという
ところが、その年代の東ドイツの人達の偽らざる心情
なんだろうな…としんみりしてしまった。
お母さんにショックを与えまいと嘘をつき続ける息子の行為は
かつての東ドイツ政府が国民にしていたことと重なる。
きっと本人もそのことには気付いていただろう。
でも、どうしても旧東ドイツの社会主義は終わったことを
お母さんに言えなかった。ううう。
私ならどうしたかなあ…。 

でも監督、本題に入るのがちょっと遅くて疲れました〜。
30分くらい尺を短くできると思うですよーー。

テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

自己紹介
ちょこっと自己紹介などしたいと思います。

えー、プロフィールにもあるとおりずっと東京に住んでいる
三十路の女でございます。
ですが、心はオトナになりきれず映画を観てはキャーと騒ぎ
本を読んではいろいろと妄想せずにはいられない性分です。

そんな私が、ここ2,3年あまり気になっているのが
アメリカやヨーロッパの映画に出てくる
キリスト教ベースの考え方。
神父さんが主人公のSF小説を読んだこともきっかけの1つです。

そこで読んでみたのが八木谷涼子著「キリスト教大研究」。
これにはカトリック、東方正教会、プロテスタントの各宗派について
コンパクトに説明されています。各宗派に関連のある書籍や映画の
紹介、宗教行事のカレンダーや意味合いなども書いてあります。
著者による祭服のイラストつき。
もともと翻訳者のために書かれたということで、創作活動を
している人にはとても役立つ資料だと思います。

ミーハー(古い)気分どころではなく実際に教会へ行って
礼拝に参加してみようという気持ちにまでなりました。
ただし、信仰するためではなくあくまでも研究(?)のために。
社会には必ず宗教があり、密接に関わっている__そこに
関心があるのです。
日本の社会には宗教の影が希薄だと言われますが、
宗教組織はなくとも”信じてしまっていること”はあるでしょう。
それだって宗教の1つではないでしょうか。
宗教は怖いと頭から思い込むのも信仰にほかなりません。

というわけで、私が参考として観ている映画や本を紹介する
ブログを作ってみました!
あまり難しい議論などはできませんが、感じたままに
書いていきますので、どうぞよろしく。



テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

エリ・エリ
作者は岩手の美術教師でもある平谷美樹(ひらや・よしき)。
小松左京賞を受賞したSF小説です。
タイトルは有名な「エリ・エリ、レマ・サバクタニ?」
神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか?
の冒頭部分です。

すっかり信仰というものが顧みられなくなった近未来、
あえてその問いをする1人の司祭がいました。
次々と教会員は離れ、友を失った神父が
以前から温めていた論文をヴァチカンに提出したことから
事態は急展開します。

そもそも、『神』とは人間にとって何でしょうか?
キリスト教やユダヤ教では、人間を造った創造主であり
『父』のようなものだといいます。
また、「神は与え、また奪い給う」ともいいます。
多神教の世界では、この世界のあらゆるものに神はやどり
様々に現れる”たえなるもの”だと捉えます。
はたして、神は探してみつかるものでしょうか。
いやいや、「求めよ、されば与えられん」「探せ、されば見いだすであろう」
と言うじゃないですか。
しかし、どうして人間はいつの時代でも神に見捨てられていると思うのでしょう。
いないと普段は云う者ですら「たとえ神様がいたって、自分はきっと見捨てられる」と
どこかで感じているような気がするなあ。

こんなことを思う作品でした。

実は、これの続きである「レスレクティオ」の方を先に読んでいたのですが
後編を先に読んだことで本作は回想シーンとして読みました。
これはこれでアリかなと思っています。
と、いうわけで2冊で1本の映画のように読める小説です。


テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

ご挨拶
ここをご覧のみなさま、はじめまして。神山侑子と申します。
もちろん、本名ではないです。
もっと可愛らしいニックネームを考えれば良さそうなものですが
なんだか思いつかなかったので、仕事で使ったことのある筆名を使うことにしました。

さて、ここ「いつでもロードショー」は映画や読んだ本の感想ブログです。
ただ、ちょっと変わった視点になったり、割と聖職者さんの出現率が高いです。
要するに神父さんとかシスターとかです。
いえ、信者ではないんですが『世界の宗教』として関心があるんです。
そういった本や映画をレビューするサイトは見かけたことがないので
やってみようかなーと軽い気持ちではじめました。

こんなヘンテコ・レビューサイトですが
よろしくお願いいたします。


実は、別のブログで書いていたのですが、何だか散漫な感じになってきたので
感想文の部分を独立させようかと思った次第です。
おまけにアフィリエイトもできないし。
普段はニュースにつっこみを入れているのに、
突然「エクソシストとの対話」の感想が出てくる変なブログ…。
現在はそこからの転載をしていますので、もしかしてヒミツノートをご存知の方は
同じ記事があってビックリなさったかも知れません。
でも、大丈夫です。やってる本人は同一人物ですのでご心配なく。

テーマ:お知らせ - ジャンル:ブログ

白夜行
東野圭吾の『白夜行』を読了しました。

私の子供時代でもある昭和の空気を強く感じる。
当時のミスター・ジャイアンツの不調を野球には興味がなかったのに
覚えているし、ピンクレディーのヒット曲が流れる街は
まさに私の育った街だ。(東京ではあるけれども)
品のいい裕福な家庭のことなど何も知らず、自分たちの境遇しか
自分たちの生活のことしか知らなかった。
子供時代は、無邪気で楽しいばかりではない。
私も何の心配もなく笑って過ごすこともあれば、
したたるような悪意に出会って戦慄したこともある。
そんなリアリティが、この小説にはある。

ここからはネタバレになりますので、これから読む方は読了されてからどうぞ〜。

それにしても、このヒロインは凄い。
反則上等で次々と男女に関わらずあの手この手で籠絡してゆく。
これと狙いをつけた相手に大きな精神的な傷を作るように仕向け
そこへつけ込むという形なのだが、彼女は自分が常に有利であるために
そんなことを繰り返している。しかし、上品で健気な雰囲気と美貌を武器に
全く疑いを抱かせないという超テクニックを持っているのだ。
必要とあらば、親友をヤクザに襲わせて全裸写真を撮るなどということも
ためらい無くやっている。しかも、サークルの先輩に疑いが
向けられるように仕向けるのも忘れない。徹底している。
恐ろしい、とんでもない女だと思うとともに
またものすごく哀しい気持ちにもなるのだ。
全ては子供の頃に原因がある。あまりにも不利でありすぎた。
貧しい家庭、教育がなく何の才覚もない母親。
美貌さえ味方や武器になることは無く、かえって『獲物』になる要因だった。
負けるのはこれきりだ、常に勝っていたい、むさぼられる側でなどいるものか。
もしも同じ立場なら、私はそう思っただろう。
なんということだろうか。本文中にはヒロインの心理描写はほとんど無いのに
すっかりつり込まれて感情移入してしまっていた。
プレイヤー・キャラクターのセリフのないゲームのように
心理描写がないことがかえって自由な感情移入を可能にしているのだろうか。

ユニークなところが他にもある。ヒロイン雪穂の本質を油断のならない
とんでもない女だと気づき、独自に私立探偵とともに真実に迫ろうとする
篠塚一成は、本書中、安心してみていられる唯一の人物だ。
ヤクザに襲われた江利子(雪穂の親友)の元カレである。
一成はいわゆる御曹司で、美貌の雪穂よりもユニークな反応をする江利子に
好意を持ち、洋服を買ってやったり美容院に連れて行ったりと
まるで少女漫画の生徒会長のようである(笑)社交ダンス部の部長なのだが。
そんな彼が一番、真実に近いところにやってくるとは驚きだ。
男性作家がそういうキャラクターに、賢く目端のきく好男子という
役を振るのは珍しいと思うのだが、どうだろう?

あまりに面白いので朝の5時まで読んでしまった。
久々に夢中になった。

好青年の一成くんがあれからどうなったのか気になる。
女神を袖にするギルガメッシュか、サタンよ去れ!と言ったキリストか
雪穂の魔力を一度はしりぞけた男、一成(笑)
他の作品中でもいいから、彼の消息を知りたいものだ。

エクソシストとの対話
『エクソシストとの対話』島村菜津 著
Dialoghi con gli Esorcisti
英訳しますと、Interview with Exorcistsでしょうか。
(21世紀国際ノンフィクション大賞優秀作)
近年まで存命だったカリスマ的な信頼を寄せられていた
カトリックの正式なエクソシスト、カンディド神父の
人となりを通して、現代におけるエクソシストとは
どういうものか、また悪魔憑きとは? と
追いかけてゆく、真面目かつチャレンジ精神あふれる本です。

エクソシストと聞くと、例の映画を思い出しますね。
なんと、本書の主役カンディド神父は
映画『エクソシスト』を観て、感想を聞かせて欲しいと
映画会社から要請されており、リーガンの首が360度回る
ところ以外はおおむねOKだ、とおっしゃったそうです。

その他、最も重要な儀式に使っている祈祷文の書いてある
「ローマ典礼儀式書」についても書かれています。
1956年版のものと、それ以前の典礼書では
エクソシズムについての章が大分変わっているんですね。
古いものだと、大天使ミカエルへの祈りなどがあるんですが
新しいものには憑いている悪魔に対する呼びかけのほうが
多くなり、更にはエクソシストへの注意や教科書的な
記述が増えているのです。具体的には
________________________________
悪魔に苛まれる人を癒す司祭は、特別に教区の司教から
許可を得ていること。
そして信仰心と思慮深さ、人生全般に
わたる潔白さを持っていること。
己の力ではなく神の力を信じ、あらゆる利益への貪欲さと
無縁にして、ただ慈愛と謙遜に基づく宗教的使命のもとに
これを行うこと。
また、成熟した年齢に達しており、その聖務によってだけ
ではなく、品行の良さによって尊敬に価するような人物であること。
________________________________
というようなリクルート条件にはじまって
(しかし、必要条件とはいえ無茶というか
 有能な人が上層部にこき使われている図式というか…)
『まず第一に、簡単に悪魔が憑依しているのだと
 信じこんではならない』
等々、様々な注意事項が書かれています。
司祭の仕事の実際面が分かって興味深いです。
これ以上書いてしまうと、読もうという方が
面白くなくなってしまいますから、このへんで。

吸血鬼に対談を申し込むのは現実には不可能ですが、
現役の公式エクソシストについて取材するのも
かなり大変なようです。
コネ社会のイタリアで、アポなし突撃取材も決行。
それでも、その中からコネクションを作り
コツコツと取材をする姿勢には、門外漢の私も
頭が下がる思いがします。

エクソシストについて興味のある方も
司祭というものに関心のある(私か)方も
読んで損はない本だと思います。



テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

彼女たちは何故にキリストの花嫁と呼ばれるのか
マーガレット・スターバード著『マグダラのマリアと聖杯』を読んだ。
皆さんもご存知の『ダ・ヴィンチ・コード』のタネ本といわれている
著作の一つです。
主旨としては、ナザレのイエスは実は結婚しており
その妻はマグダラのマリアである。
根拠は、当時のユダヤ教では妻帯していないことは成人男子に
あるまじき怠慢であり、もしも30歳前後だったナザレのイエスが
妻帯していなかったら、聖書の記事に書かれていたはずだ、
というもの。パリサイ人にもそのことで非難されていていいはず
なのに、それが一つもそれらしき記述が見当たらないことだ。
そして十字架刑になったイエスの妻の名前がわかれば、
必ずローマに狙われるのでマリアはアリマタヤのヨセフと共に
エジプトのアレキサンドリアに逃げ、そこからガリアに(南フランス)
に渡った。南仏では黒いマリア像が多数あり、『サラ・カリ』という
祭りが残っている。それはマグダラのマリアが生んだ娘サラ
のことであり、『カリ』というのはアラビア語で黒いという意味があり
サラというのはヘブライ語で女王、王女を意味する。
つまり、キリストの血を受けた聖杯とはマグダラのマリア自身、
イエスの血を引いた子供を宿した子宮…と、こういった本です。

大変、面白かった訳なのですが、そこで新たな疑問が!
この本には『花嫁』という言葉が何度も出てきます。
もちろん、天上の王(花婿)と聖婚(ヒエロスガモス)
をする大地の女神のことです。
私はこの花嫁という言葉にちょっと引っかかるものを
感じました。引っかかると言っても、納得がいかないという
意味ではなく、他にもどこか花嫁を連呼する場所があったぞ
と気づいたのです。そう、そこは女子修道院。

女子修道院では、修練期を終えて誓願を立てる時に
花嫁衣装を着るのです。
ご丁寧に左手の薬指に指輪をはめて(これは司祭も同じ)
白いパンプスを履きヴァージンロードを歩くのです。
実際に女子修道院で修道女として生活していた女性の
手記を読みました。(『狭き門を通って』カレン・アームストロング)
他にも修道者のノンフィクションを何冊か読んだのですが
何か判で押したような生活をしています。
(男子修道院の方の生活はよくわかりません。
 一日のスケジュール等はわかるのですが、それについての
 感想や信仰上の葛藤、苦悩などは不明。書く人があまり
 いないのか、本がないんですよ)
今現在はどうなのか分かりませんが、一昔前はそうだった
ようです。
で、竹下節子氏の本に聖女と呼ばれた修道女を扱った
ものがあって読んだのですが、実際に『自分の元にキリストが現れた』
と言う人がけっこういた、ということなんですね。
しかし、なぜそんな事を言うのか、私にはとても疑問でした。
修道女がキリストと結婚しているのと同じ、という表現が
ままあるのは知っていました。
でも、幻を見て恍惚となるほどの人が出るには、動機として
ちょっと弱いんじゃないか? と思っていたのです。
いくら画一的な閉じこもった生活をしているからといって
キリストとエロティックな関係になるという幻を見る人が
続出するのはおかしいのでは? それこそ、判で押したように。
幻を見るならコレ!みたいな感じなんですよね。

そこで、浅学な頭でドラマチックなことを考えてみました。
あくまでも仮説というか思いつきなのですが、

中世の修道女は貴族の娘が多かった。
中には南仏の貴族の娘もいたハズ。
南仏では異端カタリ派などが隆盛を誇っていた。
後にローマカトリックはカタリ派を弾圧、南仏貴族の娘を
他の地方の貴族と強制的に結婚させる政策を取っている。
純血の系統を主張させないためと思われる。

上記を踏まえて、もしもその結婚をどうしても
承知しない娘がいたら、どうしただろうか…?
やっぱり、尼寺へ行け!尼寺へ!! となったんじゃないだろうか。

その娘がカタリ派の教育を受けていれば、自分は『花嫁』になる
可能性がある、と思っていても不思議はないのでは?
もし、そう思っている娘が修道院に入って厳しい戒律や
自己否定プログラムに遭遇したら、どうなったでしょう。
元カタリ派なら矯正プログラムだってあるかも。
このくらい理由があれば幻も見るかも知れません。

結婚を承知しない裕福な家の娘という、よくあるモチーフに
まぎれてしまっているけれど、修道院へ入れてしまえば
カタリ派の娘が子供を産む心配はなくなるじゃありませんか。
カタリ派貴族の当主は娘を北方貴族と結婚させろ、
さもなくば一族郎党もろとも皆殺しと脅されれば、どうにか
しなくちゃなりません。

かくして、女子修道院は『キリストの花嫁』になる幻想だけは
特別に許され、システム上で助長さえされた。
一回くらいは花嫁衣装も着せてやるよ、ただし式が終わったら
髪を切れ。まあ、せいぜい幻でも見ておけって感じでしょうか。
そのかわり、一生修道院から出てきてはならない。
人にものを教えてもならない。(女子修道院では司祭がいないと
ミサができません。無論、自分たちでやってはいけないからです)
体に合わないものでも無理に食べ、自己否定の中で暮らすがいい、と。
ローマカトリックはカタリ派を、完膚なきまでに叩きつぶし
『花嫁』という言葉はかつての輝きからはほど遠い
何の権利もない家事の従事者、または性奴隷と同義になり、
そしてもう一つは、ひっそりと修道女が見る幻として知られる
ようになった。

と、こんなことを考えてしまったのです。
こんな小説があったら読みます。研究書でもいいです。
誰か書いてくれないかなあ。
え、小説なら自分で書け? あ〜話が大きすぎて無理です。


テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

告解の日/アラン・フォルサム
先日の日記にもちょっと書いたのですが、
アラン・フォルサムの『告解の日 上下』を読みました。
若き枢機卿秘書のダニエル神父がハリウッドのセレブ御用達の弁護士
である兄ハリーのもとへ”どうしたらいいのか分からない、怖いんだ”
と連絡してきたことからお話がはじまります。
しかし、ハリーは仕事が忙しく自宅の留守電のメッセージを聞いたのでした。
この兄弟は子供時代のある出来事をきっかけに気まずくなり
8年ほども音信不通だったのですが、その弟から連絡があったのです。
兄のハリーは留守電を聞き、ただ事では無さそうだと
何度もローマに連絡を試みますが、肝心のダニエル神父はつかまりません。
そんな不吉な胸騒ぎを感じるハリーのもとへローマからもたらされたものは
弟のダニエル神父はアッシジへ向かうバスが事故を起こし炎上、
その犠牲になった、という報告だったのです。
この後、ローマへ渡ったハリーは色々ありましてイタリアの警察と
ヴァチカン警察、マスコミ、そしてテロリストからも
逃げなくてはならなくなるという逃亡劇、サスペンスです。

どうしてこんなのが映画にならないのか不思議なくらい映画っぽいです。
キャラクターも好感が持てます。
兄のハリーは親友と弁護士事務所を設立して
がんばっているビジネスマン。弟は10代はグレていたのに
今では神父でしかも枢機卿の秘書にまでなっている。
……優秀な兄弟だなあ!
ハリーと一緒に逃げることになる修道女のエレーナも素敵です。
しかし、本当の主役はダニエルのボスのマルシアーノ枢機卿かも。
彼がダニエル神父に告解しなければ、ハリーとエレーナの
逃亡劇ははじまらなかったのです。
どんな告解だったか? それは言えません。
告解には守秘義務がありますから(笑)
興味を持たれた方は是非、ご一読を。

アジア映画 2本
アジアで作られた映画はあんまり観ていないんですが
仕事で必要になってみてみました。
観ろ、と言われたのはジェット・リーのでている『HERO 英雄』。
自分で観てみようかと思って借りたのは韓国の映画『王の男』。

どっちも勉強になりましたよ。
参考にするのは主に衣装の部分だったんですが、ナルホドーという感じです。

後の秦始皇帝となる秦王と中世朝鮮の一国の王では、
持っている事情の大きさが違いすぎる。さすが中国は壮大です。
しかし、どっちが面白かったかというと『王の男』。

『HERO』は剣で戦うシーンが多いわけですが、回想が多く
何度も同じ戦いを見せられて飽きてしまう。
あそこまで、くるくる回ってしまうと戦いではなく、舞でしかないだろう。
洗練されるのはいいが戦いの殺気や気迫は残念ながら犠牲になってしまったようだ。

『王の男』は旅芸人が都会に出て来て、急に王宮で芸を披露するはめになり、
美少年芸人コンギルくんが王様に気に入られてしまう。
一緒に旅をしてきた相方は心配でたまらず、反抗的な態度でトラブルを起こし
王様の側室(?)もコンギルを目の敵にして様々な策略を巡らすのだった。
中世朝鮮の宮廷物語ですね。一般市民の風俗も面白かった。
できれば伎生だった側室の舞なんかも見せて欲しかったな。
そして美少年コンギルに向かって「田舎芝居」と罵って欲しかった(笑)
いや、実際、芸人たちのやってることは下品でくっだらない田舎の三文芝居なの。
しかし、それを本気になって思い入れしてしまう愚かな王様。

この王様は朝鮮の歴史上、暴君の名を欲しいままにしている”燕山君(ヨンサングン)”
なんですね。『チャングムの誓』の冒頭でクーデターによって死んだ王様です。

…まあ、こんな映画です。

洗練度では『HERO』が数段上でしょう。
しかし、立派な王の逸話ではなく、運命に翻弄される人間を描いた
映画が観たい方には、『王の男』をおすすめしたいと思います。

テーマ:映像・アニメーション - ジャンル:学問・文化・芸術

マッケラン氏の役者魂に涙



ヒュー・ジャックマンが観たくて、映画館に足を運んだ。
何しろX-MEN1で「あらー、好みが服着て歩いてるわー」と
惚れてしまったのだから仕方が無い。
このX-MENFinalDecision でもジャックマンのカッコ良さは
惚れ惚れするほどだ。ラストシーンなどは涙が出る。
この人は、女の人を愛している役が似合うなあ。
(ところでウルヴァリン、どうしてお葬式に出ないの?)

しかし、今回はマッケラン氏の悪の組織の総裁ぶりには涙を禁じ得ない。
あのヘルメットを冠ることにサーは抵抗がなかったのだろうか?
今時、日本の特撮ヒーローものにも出て来ないようなコスチューム。
生命保険のCMくらいでしかお目にかかれないような衣装だ。
その姿で敵陣に乗り込み、金属を操る様にサーの役者魂を感じた。
ああ、芸の道ってキビシい! (いえ、何もひっかけてないですよっ)

テーマ:映像・アニメーション - ジャンル:学問・文化・芸術

A Tuch of spice
先ほど、映画『タッチ・オブ・スパイス』をDVDにて鑑賞。

なんて可愛い映画でしょうか。
ストーリーを紹介します。
ネタバレですので、嫌な方は見てから読んで下さいね。







おじいちゃんっ子の主人公ファニスは、おじいちゃんの香辛料店で
スパイスの知識を授けられながら育ちます。
幼友達はお母さんの親友の娘、サイメ。踊りの好きな可愛い女の子です。
おじいちゃんの店の屋根裏に入るのが許されているのは二人だけでした。
二人はその屋根裏でママゴトをしたり、おじいちゃんの話を聞いて過ごします。。
「辛くて熱い胡椒は太陽、シナモンは金星_絶世の美女だ。甘くて苦い」

ある日、トルコとギリシャの関係悪化によって、(キプロス問題)
ギリシャ国籍のファニスの家族は強制退去を命じられてしまいます。
おじいちゃんとお母さんは残る資格があるらしいのですが、
お父さんはダメ。結局、おじいちゃんだけが残ることになりました。
ギリシャに行ってからのファニスは、おじいちゃんが教えてくれた
スパイスの知識で異常なくらいの料理好き少年に。
あまりに料理に夢中になりすぎ、連絡も途絶えたサイメのことばかり
言う息子を心配した両親は、彼をボーイスカウトに入れます。
が、そこでも慰問先の売春宿で料理の手伝いをして
お父さんが当局から愛国心の教育をするよう指導を受ける始末。

さて、別れ際におじいちゃんは『きっと会いにゆく』と言ったのですが
何年経っても行くという段になってトラブルがあったり具合が悪くなったり。
お父さんは言います。
『じいちゃんは来やしない。来たくないからだ。
 おれだって、あの街から離れたくなかった。
 思うだけならギリシャも美しい。でも、イスタンブールは特別なんだ。
 退去を言い渡しに来た係官はイスラムに改宗すればトルコにいてもいいと
 耳打ちしたよ。5秒迷った。即答できなかった』と。

天文学の教授として働くファニスの元に、おじいさん危篤の知らせが入ります。
取り急ぎイスタンブールに向かうファニス。
病院にいたおじいちゃんは意識がありませんでした。
ただ、スパイスを扱う時と同じ、指を擦り合せる仕草をするだけです。
程なくおじいちゃんは亡くなります。お葬式には、あの懐かしいサイメが。
ファニスはボスフォラス大学を訪ね、教員の職はないかと打診するのでした。

ファニスとサイメは、長い月日を埋めてあまりあるほどに惹かれ合いますが
サイメには夫と娘がいます。夫とは仕事の都合で別居中だと言うのですが…。
娘の誕生日に夫ムスタファが帰って来てしまいます。
作中では、食事をしようとすると電話やインターフォンが鳴って
中断されるという、ファニスの不安と落胆を表す演出が何度もでてきます。
幼い頃に入国管理局の係官が来たのが食事中だったのが不安のモトなのでしょう。

サイメは夫のいるアンカラに戻ることになりました。
ファニスは呼び出したムスタファからそれを聞かされます。
彼女たちが発つ日、ポツンとイスタンブール駅に立つファニス。
今度はイスタンブールを去るサイメを見送るためです。
ホームで振り返ると再会の約束になってしまうよ、と言われたサイメは
一度も振り返りませんでした。
しかし、彼女の娘は笑って振り返ったのです。

昔のおじいちゃんの店にやってきたファニス。
屋根裏に上がると、おじいちゃんの座っていたイスも
サイメが乗って踊っていたテーブルもそのままです。
胡椒の赤い粒を見つけたファニスは、おじいちゃんがしてみせたように
胡椒の恒星、塩の銀河系、ターメリックの星雲…と
スパイス(spice)で宇宙(space)を描き始めるのでした。

全編に渡って暖かく優しい作品です。
国際問題、社会問題が入っている映画は、とかく悲惨になったり
人間の醜い部分を強調してしまうことがありますが
この映画は最後まで美しいです。
でもとても自然で、無理にオキレイにしているようにも思えません。
素晴らしいです。



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ナイト・ウォッチ
皆様こんばんは。
久しぶりに新作DVDを観たので感想をば。

『ナイト・ウォッチ』、面白かったです。
ロシア映画はほとんど観た事が無かったのですが
暗くて長くて退屈そうなイメージだけは勝手に持っていました。
すみませんでした。これは退屈なんてしている間はなかったです。
映像はスタイリッシュ、お話は文学的。
光の眷属と闇の眷属の対立というダーク・ファンタジーは
日本人にも理解しやすく、すぐに世界に馴染める。
日本で漫画にしたら、きっと売れると思う。
原作は小説だったと思うんですが…日本語訳してくれないかな〜。
すっごく読みたい。

人間以外の存在『異種』は、はるか昔から光の眷属と闇の眷属に分かれて
相争っていた。異種は、人間の暮らす次元とは違う階層である『異界』を
自由に出入りし、個体によって様々な能力の違いがある。
異種は自分が異種であると気づくと、光の眷属になるか闇の眷属になるかを
自分の意志で選択する。
果てしない戦を何百年と続けていた異種たちは、ある時、大きな橋の上で
戦っていた。しかし、いつ終わるとも知れない戦いに互いの陣営の主は
休戦することを決定した。
そしてお互いを監視するために、夜を支配する闇の眷属を見張る光の眷属は
『ナイト・ウォッチ』に。そして昼の世界に暮らす光の眷属を見張る
闇の眷属は『デイ・ウォッチ』となった。

こんな感じで始まります。面白そうでしょ?
ところで、映画の中に「ビザンチウム伝説」というのが出て
くるんですが、それは本当に存在するんでしょうか…。
存在するなら読んでみたい。
ロシアや東欧ではポピュラーな民話だったりとかしたら
もう、身悶えするほど読みたい(笑)
だ、誰か日本語に訳して出版してください!!

この間、『ヒストリアン』を読んだもので
ルーマニアとかハンガリーとか、あの辺の民話伝承に興味がありまして。
吸血鬼話の他にも色々と紹介されてない話があるのではないかな〜と。
で、『ヒストリアン』もビザンチン絡みなのですよねー。
そう。ビザンツのキリスト教世界とイスラム世界の激しい戦いの時代が
キーになっていまして、どうもビザンチウム伝説ってあるような気がしてます。
現地では知らない人はいない、とか…。違うかなあ。

どなたか、ご存知でしたら教えて下さい。

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どうなる? 聖該布血盟の映画化
さて、今日は『ダヴィンチ・コード』を観たのだけれど
スペインで映画化されると訳者あとがきにもあった
フリア・ナバロ作『聖該布血盟』は
どうなったのであろうか?

これは、トリノの聖該布をめぐるスリラーで
イタリア警察&カラビニエーリ、研究者、
そして謎のトルコ人やら教会関係者やらが
追いつ追われつするという話。
キャラは素晴らしく立っている。
教会関係者と主人公が話をするシーンも多く
それぞれの立場の違いが非常にくっきりとしていて
良いドラマになっている、いい小説だと思う。

これをスペインではどう映画にするんだろうか。
またしてもテンプル騎士団が出てくる(笑)
ある意味で忍者みたいな扱い?テンプル騎士団。
色々な想像をかき立てる集団なのね…。
修道騎士というのがまた妄想の源泉になって
いるんだろうな。

スペインからの映画完成の報が待ち遠しい。


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ダ・ヴィンチコード
みなさんこんばんは。
今日、月曜日だというのに仕事を休んで
観て参りました。『ダヴィンチ・コード』

うん。マァマァの出来ではないでしょうか。
ラングドン役がトム・ハンクスなので
原作の「イイ男で、売れっ子な大学教授で」という
トゥー・マッチさが消えていてイヤミがないです。
服はハリー・ツイードだったかどうか覚えてません。
なんか、どうでもよさげな服でした。

サー・ティービングいいなあ。
さすが、サー・イアン・マッケラン。
学者の狂気というか執念というか妄執というかーーが
原作以上に表現されていたと思います。
シラスは可哀想だったですね。
セルフ・ムチ打ち修行は原作読んで知っていたんですが
そのシーンになるたびに
もう〜やめときなさいってば、と思ってました(笑)
ヒドいよ、アリンガローサ司教。

知的な面白さでは原作の虚々実々、
人物の人間ぽさは映画に軍配を上げます。私は。
キャラクターについて原作はいささか
書き割りっぽすぎるように感じるところがあるんですが
(みんなかなりステレオ・タイプ。設定書みたい)
映画は生身の人間が演じることで説得力が出たようです。

カンヌでは不評だったそうですけど、こういうタイプの
映画って、評論家はもともとキライなんでは?
そいういう人たちはナウシカで安心しておけば
いいと思います。
(ナウシカは好きですが、あまりに映画界が宮崎さんを
 持ち上げすぎてて不気味)

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エミリー・ローズ



感想は…うーん、面白かったのですが、複雑な気分です。
まず、神父さんはエクソシズムをするにあたってヴァチカンに
許可を求めていますが、彼は正式に任命された人だったんでしょうか?
許可されたということは、すなわち任命されたのだと考えることはできますが。
それから、エミリーの神父宛の手紙に書いてあったような
敬虔なカトリック教徒としての姿は、裁判の終盤になるまで
観客にはまるっきり示されません。
それは観客に陪審員と同じ状態になってもらうための演出だとは思います。
わからんなあ〜という気持ちにはなったので、演出は成功です!(^^;;
しかし、映画の観客としては不満が残りますねえ。

はたして、医師の処方の薬をやめさせて悪魔払いを実行した神父は有罪か?

法律に従って判断するならば、有罪でも仕方が無いと思います。
ただ、精神疾患の患者は何も判断してはならないのでしょうか。
呼吸困難や硬直、幻覚を見ない時のエミリーは全く普通だったと
精神科医は言っていました。
処方の薬を飲まないことを最終的に選択したのはその本人なのです。
エミリー本人と神父は宗教的な信念に基づいて行動しました。
悪魔払いは本人の了解がなければできません。
これをどう考えるか。
法律は、人間の行動の全てを判断するに足るものでしょうか。

私には悪魔が存在するかしないかよりも、それが気になる映画でした。