プロフィール

神山 侑子

Author:神山 侑子
★★★★★★★★★★★★★

隅田川に架かる橋のたもとで
生まれ、湾岸で育つ。
現在は大根を栽培する地域に
暮らす37才。
職業はエンタメ系職人。

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Dove siamo? <ドーヴェ・スィアーモ?>
趣味的な映画や本の感想を綴るブログ。 現在は西洋のお坊さんに注目中。 もう自分がどこにいるのか分かりません。 ここはどこですか… Dove siamo?
自己紹介
ちょこっと自己紹介などしたいと思います。

えー、プロフィールにもあるとおりずっと東京に住んでいる
三十路の女でございます。
ですが、心はオトナになりきれず映画を観てはキャーと騒ぎ
本を読んではいろいろと妄想せずにはいられない性分です。

そんな私が、ここ2,3年あまり気になっているのが
アメリカやヨーロッパの映画に出てくる
キリスト教ベースの考え方。
神父さんが主人公のSF小説を読んだこともきっかけの1つです。

そこで読んでみたのが八木谷涼子著「キリスト教大研究」。
これにはカトリック、東方正教会、プロテスタントの各宗派について
コンパクトに説明されています。各宗派に関連のある書籍や映画の
紹介、宗教行事のカレンダーや意味合いなども書いてあります。
著者による祭服のイラストつき。
もともと翻訳者のために書かれたということで、創作活動を
している人にはとても役立つ資料だと思います。

ミーハー(古い)気分どころではなく実際に教会へ行って
礼拝に参加してみようという気持ちにまでなりました。
ただし、信仰するためではなくあくまでも研究(?)のために。
社会には必ず宗教があり、密接に関わっている__そこに
関心があるのです。
日本の社会には宗教の影が希薄だと言われますが、
宗教組織はなくとも”信じてしまっていること”はあるでしょう。
それだって宗教の1つではないでしょうか。
宗教は怖いと頭から思い込むのも信仰にほかなりません。

というわけで、私が参考として観ている映画や本を紹介する
ブログを作ってみました!
あまり難しい議論などはできませんが、感じたままに
書いていきますので、どうぞよろしく。



テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

エリ・エリ
作者は岩手の美術教師でもある平谷美樹(ひらや・よしき)。
小松左京賞を受賞したSF小説です。
タイトルは有名な「エリ・エリ、レマ・サバクタニ?」
神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか?
の冒頭部分です。

すっかり信仰というものが顧みられなくなった近未来、
あえてその問いをする1人の司祭がいました。
次々と教会員は離れ、友を失った神父が
以前から温めていた論文をヴァチカンに提出したことから
事態は急展開します。

そもそも、『神』とは人間にとって何でしょうか?
キリスト教やユダヤ教では、人間を造った創造主であり
『父』のようなものだといいます。
また、「神は与え、また奪い給う」ともいいます。
多神教の世界では、この世界のあらゆるものに神はやどり
様々に現れる”たえなるもの”だと捉えます。
はたして、神は探してみつかるものでしょうか。
いやいや、「求めよ、されば与えられん」「探せ、されば見いだすであろう」
と言うじゃないですか。
しかし、どうして人間はいつの時代でも神に見捨てられていると思うのでしょう。
いないと普段は云う者ですら「たとえ神様がいたって、自分はきっと見捨てられる」と
どこかで感じているような気がするなあ。

こんなことを思う作品でした。

実は、これの続きである「レスレクティオ」の方を先に読んでいたのですが
後編を先に読んだことで本作は回想シーンとして読みました。
これはこれでアリかなと思っています。
と、いうわけで2冊で1本の映画のように読める小説です。


テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

ご挨拶
ここをご覧のみなさま、はじめまして。神山侑子と申します。
もちろん、本名ではないです。
もっと可愛らしいニックネームを考えれば良さそうなものですが
なんだか思いつかなかったので、仕事で使ったことのある筆名を使うことにしました。

さて、ここ「いつでもロードショー」は映画や読んだ本の感想ブログです。
ただ、ちょっと変わった視点になったり、割と聖職者さんの出現率が高いです。
要するに神父さんとかシスターとかです。
いえ、信者ではないんですが『世界の宗教』として関心があるんです。
そういった本や映画をレビューするサイトは見かけたことがないので
やってみようかなーと軽い気持ちではじめました。

こんなヘンテコ・レビューサイトですが
よろしくお願いいたします。


実は、別のブログで書いていたのですが、何だか散漫な感じになってきたので
感想文の部分を独立させようかと思った次第です。
おまけにアフィリエイトもできないし。
普段はニュースにつっこみを入れているのに、
突然「エクソシストとの対話」の感想が出てくる変なブログ…。
現在はそこからの転載をしていますので、もしかしてヒミツノートをご存知の方は
同じ記事があってビックリなさったかも知れません。
でも、大丈夫です。やってる本人は同一人物ですのでご心配なく。

テーマ:お知らせ - ジャンル:ブログ

白夜行
東野圭吾の『白夜行』を読了しました。

私の子供時代でもある昭和の空気を強く感じる。
当時のミスター・ジャイアンツの不調を野球には興味がなかったのに
覚えているし、ピンクレディーのヒット曲が流れる街は
まさに私の育った街だ。(東京ではあるけれども)
品のいい裕福な家庭のことなど何も知らず、自分たちの境遇しか
自分たちの生活のことしか知らなかった。
子供時代は、無邪気で楽しいばかりではない。
私も何の心配もなく笑って過ごすこともあれば、
したたるような悪意に出会って戦慄したこともある。
そんなリアリティが、この小説にはある。

ここからはネタバレになりますので、これから読む方は読了されてからどうぞ〜。

それにしても、このヒロインは凄い。
反則上等で次々と男女に関わらずあの手この手で籠絡してゆく。
これと狙いをつけた相手に大きな精神的な傷を作るように仕向け
そこへつけ込むという形なのだが、彼女は自分が常に有利であるために
そんなことを繰り返している。しかし、上品で健気な雰囲気と美貌を武器に
全く疑いを抱かせないという超テクニックを持っているのだ。
必要とあらば、親友をヤクザに襲わせて全裸写真を撮るなどということも
ためらい無くやっている。しかも、サークルの先輩に疑いが
向けられるように仕向けるのも忘れない。徹底している。
恐ろしい、とんでもない女だと思うとともに
またものすごく哀しい気持ちにもなるのだ。
全ては子供の頃に原因がある。あまりにも不利でありすぎた。
貧しい家庭、教育がなく何の才覚もない母親。
美貌さえ味方や武器になることは無く、かえって『獲物』になる要因だった。
負けるのはこれきりだ、常に勝っていたい、むさぼられる側でなどいるものか。
もしも同じ立場なら、私はそう思っただろう。
なんということだろうか。本文中にはヒロインの心理描写はほとんど無いのに
すっかりつり込まれて感情移入してしまっていた。
プレイヤー・キャラクターのセリフのないゲームのように
心理描写がないことがかえって自由な感情移入を可能にしているのだろうか。

ユニークなところが他にもある。ヒロイン雪穂の本質を油断のならない
とんでもない女だと気づき、独自に私立探偵とともに真実に迫ろうとする
篠塚一成は、本書中、安心してみていられる唯一の人物だ。
ヤクザに襲われた江利子(雪穂の親友)の元カレである。
一成はいわゆる御曹司で、美貌の雪穂よりもユニークな反応をする江利子に
好意を持ち、洋服を買ってやったり美容院に連れて行ったりと
まるで少女漫画の生徒会長のようである(笑)社交ダンス部の部長なのだが。
そんな彼が一番、真実に近いところにやってくるとは驚きだ。
男性作家がそういうキャラクターに、賢く目端のきく好男子という
役を振るのは珍しいと思うのだが、どうだろう?

あまりに面白いので朝の5時まで読んでしまった。
久々に夢中になった。

好青年の一成くんがあれからどうなったのか気になる。
女神を袖にするギルガメッシュか、サタンよ去れ!と言ったキリストか
雪穂の魔力を一度はしりぞけた男、一成(笑)
他の作品中でもいいから、彼の消息を知りたいものだ。

エクソシストとの対話
『エクソシストとの対話』島村菜津 著
Dialoghi con gli Esorcisti
英訳しますと、Interview with Exorcistsでしょうか。
(21世紀国際ノンフィクション大賞優秀作)
近年まで存命だったカリスマ的な信頼を寄せられていた
カトリックの正式なエクソシスト、カンディド神父の
人となりを通して、現代におけるエクソシストとは
どういうものか、また悪魔憑きとは? と
追いかけてゆく、真面目かつチャレンジ精神あふれる本です。

エクソシストと聞くと、例の映画を思い出しますね。
なんと、本書の主役カンディド神父は
映画『エクソシスト』を観て、感想を聞かせて欲しいと
映画会社から要請されており、リーガンの首が360度回る
ところ以外はおおむねOKだ、とおっしゃったそうです。

その他、最も重要な儀式に使っている祈祷文の書いてある
「ローマ典礼儀式書」についても書かれています。
1956年版のものと、それ以前の典礼書では
エクソシズムについての章が大分変わっているんですね。
古いものだと、大天使ミカエルへの祈りなどがあるんですが
新しいものには憑いている悪魔に対する呼びかけのほうが
多くなり、更にはエクソシストへの注意や教科書的な
記述が増えているのです。具体的には
________________________________
悪魔に苛まれる人を癒す司祭は、特別に教区の司教から
許可を得ていること。
そして信仰心と思慮深さ、人生全般に
わたる潔白さを持っていること。
己の力ではなく神の力を信じ、あらゆる利益への貪欲さと
無縁にして、ただ慈愛と謙遜に基づく宗教的使命のもとに
これを行うこと。
また、成熟した年齢に達しており、その聖務によってだけ
ではなく、品行の良さによって尊敬に価するような人物であること。
________________________________
というようなリクルート条件にはじまって
(しかし、必要条件とはいえ無茶というか
 有能な人が上層部にこき使われている図式というか…)
『まず第一に、簡単に悪魔が憑依しているのだと
 信じこんではならない』
等々、様々な注意事項が書かれています。
司祭の仕事の実際面が分かって興味深いです。
これ以上書いてしまうと、読もうという方が
面白くなくなってしまいますから、このへんで。

吸血鬼に対談を申し込むのは現実には不可能ですが、
現役の公式エクソシストについて取材するのも
かなり大変なようです。
コネ社会のイタリアで、アポなし突撃取材も決行。
それでも、その中からコネクションを作り
コツコツと取材をする姿勢には、門外漢の私も
頭が下がる思いがします。

エクソシストについて興味のある方も
司祭というものに関心のある(私か)方も
読んで損はない本だと思います。



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